josepheneの日記

適当に思ったことを書いてます。

メンヘラか躁鬱なんじゃねって話

相談したくてもできないし友人にもわざわざいう話じゃないけど言葉にしないと辛いから書く感じ。友人には精神状態バレてるかもしれないけど。

 

まず現状として、ほぼ毎日「○にたい〜」「○してくれ〜」的なことを呟いてる状態。一人暮らしでよかった。近くの家の人に聞こえてたらごめん。

週に数回は首に紐かけてドアノブにぶら下がってみたり、包丁を喉や腹に突き立ててみたりしてる。怖いから傷つかない程度でストップしてるけど。ただメンヘラなだけかも。

リスカは跡が残るからしない。自分は人より傷跡が残りやすいっぽいし。

あと週に一度はメソメソ泣いてる。本当に情けないと思う。

寝てる時は大抵うなされてる。最近少し頻度が下がってきたけど。

夜に住宅街を歩いていると叫び声や呻き声が聞こえる気がする。町の人みんな病んでるのか実は幻聴で自分の頭がおかしいのか。

 

逆にテンションが異常に上がる時もあって(最近はあんまないけど)、こういう時はもう苛立っちゃって動かずにはいられない感じ。20kmくらいふらふら散歩して「そういえば今日まだ何も食べてなかったなー」とか気付いたり、24時間寝付けずに作業してたり。

LINEの返信がきたりするとそれが嬉しくてまともに画面を見れないから10kmくらい散歩して途中寺や神社で心を落ち着けたりしてから内容を確認する感じ。改めて書き出してるとマトモじゃないよって思う。

そういう散歩の後には大抵足の爪が何本かはがれかけ(または爪の下が血塗れ)になってる。

 

こういう状態だし明るい将来なんてありえないよなーと思うからさっさと終わりにしたいんだけど怖くて一線を超えられない。それがまた情けないなと。

でもこれが薬で治るとして、通院と診断が必要になるからそれが就労やローン、保険に響くことを考えると金銭面ハードモードだよな。

つまり辛い気持ち抱えたまま精神面ハードモードで生きていくかデカい買い物は一生厳しい上普段の出費の嵩む金銭面ハードモードで生きるか、やる勇気がないけどもう全部終わりにしてしまうかの三択で、結局何も行動しないで得られる現状を選んでいるっていうわけ。馬鹿馬鹿しい。

それでいて、月に一度くらい親族に顔を出すと「元気そうにやっていてよかった」だなんて言われる。馬鹿馬鹿しい。

 

オチはないです。これからも鬱屈した別記事を書くからここまで。

責任って何ですかっていう話

自由と責任は表裏一体ということで、思い出した話。

今回もエロ的な内容が入ります。

 

TikTokライブ配信でお風呂配信をやっていたので(そういうものは規約に引っかからないのかな)とか思いながら少見ていた時の話。

そもそも自分の認識はニコ生のライブをやっていたのと同じタイプの若い人が今はTikTokでライブしていると思っている。ニコ生を見ていなかったからよく知らないけど。

でも昔多分そういう配信はニコ生であったと思うからこの認識のまま話を進めます。

配信しているアカウント主は(勝手に成人済みだと思っている)いつも風呂から配信するスタイルでやっているらしい。

視聴者からのコメントでうっかりポロリすると危ないから変えたほうがいいよ、的な助言がかなり流れていたんだけど「私はこのスタイルでやっていくから。失敗はしないし、しても自己責任だから。」とのことで聞き入れられず。

たまたま自分が見た回は妹と一緒にそのスタイルで配信していた。

そして案の定失敗し、体を洗う最中に窓ガラスに反射する形で数秒間妹の姿が写り、ハプニングに気づいた配信主がとりあえずカメラを塞ぎ、少しして配信を停止した。

そこそこ前のことだしあまり覚えていないが、ぼやけて体のラインだけ判別できる程度だった気はする。

ハプニング後に流れているコメントは「やっちゃったね」「動画保存されてTwitterで流されるよ」的な内容だった気がする。

数時間後に「妹的にはあれは見えていない範囲だからセーフ」「だけど今後の配信では妹を出すのはやめる。スタイルはこのまま続けていく」みたいなことを発信していた。

 

ここまでが大体の状況で、ここからが思った話。

まず自己責任、って言葉は今日非常にありふれているけれど、どれほどの人がその言葉の重みを受け止めているんだろう、と思った。

あとその責任って具体的にどんなものなのか考えているんだろうか、とかそれは主観的、客観的にどれくらいの重みでとられるものなんだろ、とか思った。

そういうことを考えながら散歩するのが好きなので、今回もそのようにした結果、少し整理がついた。

まず人がどれくらい真剣に言葉を受け入れて使っているかは真面目な論文とか探したり研究しないとわからんでしょ、ってことで保留した。

責任については(人のイメージはわからないから)自分なりのイメージを考えることが大切だと思ったから考えた。

誰かと自分とでグループとして何かアクションをして、責任は自分だけにあるような状況を考えたら責任は行為のリアクションで受けるネガティブな影響の補填を保証することかなーと思った。(今回の事例をイメージした)

それをしっかりやるためには被害状況を把握して伝えられる環境が整っていないと難しいよなーと思った。

別の例で、大学で指導教員に「発表までの指導の責任は教員にあるが、発表が始まったならそこから先は君が責任を持つことになる」と言われたことを思い出した。

この場合は指導中は学生に学ばせることが教員の責務、発表中の外部からの質問対応は発表者の責務、当前のことだ、とそのまま受け入れたけれど実際のところどうなんだろう。発表までに十分学習したことを外部で評価しないと教員は責務を全うしなくても気づかれないし、バレる頃には責任を負う主体が学生になるので補填、保証する必要がないのではないか。少しずるい気がした。まあちゃんとチェックする機構が実際は整っているのだろうけれど。

そして自己責任については、自身が自身のリスク保証をする、という話なのでそれが他人を害さないのであればまあ何でも自由にできるよな、と思った。よく内容を覚えていないけど多分憲法が保障する自由もそういうものだと思う。勉強しなきゃ。

最後に、自分と共同で活動しているわけではない人に対するアクションはどう責任を取るんだろう、と思った。多分最初に考えた例と同じようなものなんだろうけど先に補填内容の取り決めができていないわけだから...なんて考えたところでだから法律があるんだなあ、と思った。法学徒じゃないからちゃんとは知らないけど。

だけど、法で定められた刑罰の重みの受け取り方が個人によって違うよな、とか立場上やり返せない相手に対してなら足元を見てどこまでも権利を犯せてしまうよな、と。ここら辺はまだ整理できていない。例えば前者はいわゆる無敵の人(この呼び方好きじゃない)案件とか、後者は昭和天皇の写真を焼く行為とかネットで茶化されてることとか。もちろん皇族に限らないけど。

まあなんというか、少人数グループの中では責任っていうものを正しい重み、つまりメンバーたちがなるべく納得のいく形で取りやすいけど、人数が増えるにつれて直接契約をいちいち交わしてられないし、結果大体の人の基準という程度で責任を取る形になって納得のいかない人の割合が増えてきそうだよ、とか立場によっては罪を咎められなかったり痛くも痒くもなかったりするんだよなって話。どの口が言ってんだって話だけど。

 

なんか話題がずれてきたからここまで。

エロ漫画を読んでショックを受けた話

とりあえず何から記事を書こうか、ということで話したい(けど話しづらい)ことを。

ショックを受けたのはこれまでの人生で自分の考え方が全て間違っていたような気が気がしたからです。

うまく言語化できていないので怪文書状態です。

 

5月くらいに読んだシャモナベ先生の「潮風に吹かれたので」を読みました。

性的な内容は姪と行為に及ぶもので、(ジャンルとして)よくあると思います。

仕事で体を壊した主人公(成人)が幼少期を過ごした島で民宿を営む姉の元に居候し、姪(中学生くらい??)と再会して...みたいなストーリーなのはいいとして

なんか一般に大人ってやはり外での仕事なり家事なりなにかしらの規模の社会を回す役割を背負う(義務がある)立場にあるじゃないですか、

この話は中盤~終盤の、大人としての体裁を保てない主人公、背伸びしたがる(ひょっとすると既に大人になっている)姪と行為と最中のコミュニケーションを通じて時間的な空白で生まれた心理的な溝が埋まる、という点が結構感動寄りだなーと思いました。そういう作品好きです。

絵もかわいらしいし、素晴らしい作品だと思います。一読の価値あると思うので読んでください。

https://book.dmm.co.jp/detail/b915awnmg01127/?i3_ref=list&i3_ord=7&dmmref=a_List_commonList

 

で、本題。

行為の最中に、「いれた事あるか?」「一回だけ。全然良くなかった。」「そういうもんだよ」というやりとりがもう2ヶ月くらい頭から離れない、という話。(これ自体は大人の世界に足を踏み入れ始めた姪と大人として生きている(きた)主人公のやりとりとして自然なものだと思う)

そもそも自分はこれまで、少なくともリアルでは婚約もしていない(する気もない)のに操を守らないことは結婚相手のことを軽んじているような気がして苛立っていたのに、この話を読み進めているときは「どんな相手と、いつ、どういう状況で。」「行為の前後、相手に対してどのようなことを考えていたのだろうか」などのことが真っ先に浮かんだ。

この無意識の差別に気づいたときがかなりショックだった。というのも、ここ一年はできるだけ自分の感情変化を察した際はなるべく言語化して自分はこういう人間だ、ということを理解しようと試みていたため。

すぐさまその差を生んだ要因を考えた。

二次元か三次元か、外見はどうか、年齢的に幼いかどうか(絶対的)、それは主人公と比べて相対的にどうか、関係性はどうか(社会的なものも接触的なものも)、知った際の状況はどうか、など...

現時点での結論としては、苛立つ原因としては相手へのリスペクトを欠いていることなのであって、それの回避は貞節さであって、処女でなくても成り立つものである、ということ。

ただこれだけだと浮気性(少し言葉選びが間違っているかもしれない、よりよい相手にすぐ乗り換え元の相手との縁を解消するイメージ)に対する苛立ちがまだ回避できていないので、もっと考えないといけない...

この漫画では「一人だけ」ではなく「一回だけ」、でよかったなーと思った。(つまり漫画内で受けた直接のショックについては整理がついた)

それでも、今まで言語化して自分のことをわかった気になっていたけれど、それが割と雑で間違った理解の仕方をし、(感情より理性で処理している時とかに)本心とは異なる受け止め方をしてきたのかもしれない、という恐怖は多分ずっとこれからも残っていくと思う。

 

なんかシメっぽいことを書けたのでこの話は一旦これまで。

自己紹介とおおよその内容のイメージについて

まずは自己紹介から

現在、国内の地方都市で理系の大学生をやっている男です。

山より海派、旅行や散歩、ゆっくりとした移動が好きです。

旅行は金銭面から限界旅行に近いものが多いです。

苦手なものは納期、片付け、適当な話題提供ですねー(つまり典型的なコミュ障)

 

これからブログに書いていく内容は今のところ地元の友人や親族に話しづらかったり機会がなかったりした出来事を思い出しながら...みたいなつもりです。(今は日記っていうタイトルですがそのうち内実に合わせて考えます)

実は今年初めから手書きの日記をたまにつけていましたが、文章を練り直すのに不向きだと気づいたのでブログにしました。外出先でも気軽に読み直せるし。

あとTwitterだと自分の過去ツイを遡るのが(まとまっていなくて)面倒なので、ここらへんもブログの良さですね、まだ内容何も書いてないけれど。

たぶん怪文書になるからしばらくは身内には公開できないですねー、言いたいような恥ずかしいような状態。

 

初めての投稿

初めまして、josepheneです。

周囲に意外とブログを書いている人が多いということ、Twitterだと親族に記述内容を把握されている(監視されている??)ので試しにはてなブログに登録してみました。

 

三日坊主になりそうな気がしますが、これから気分のノッた時に書いていこうと思います!